⛩その107  すぐに上賀茂神社へ向かった訳

こんばんは。


🌺占い師の笑実です🌺


昨日の記事で”上賀茂神社に呼ばれている気がする”って書いたんだけど


今日、居てもたってもいられない衝動に駆られ上賀茂神社へ行ってきました。


何故どうしても行きたくなったかというと、こんなものを目にしてしまったから…



早朝のことです。


午前4時過ぎに目が覚めてしまい、しばらく眠れそうになかったので布団の中で


ぼ~っとしていました。


その時、先日尋ねた萩の寺の 魯山人観音の ”魯山人さん” のことが頭に浮かんだのです。


(北大路 魯山人って、そもそもどんな人なの??)


気になったので、スマホを手に取り検索してみたのです。


ウィキペディアに以下のような略歴が書いてありました。


略歴 1883年(明治16年)、両親は京都府愛宕郡上賀茂村(現:京都市北区)上賀茂に、上賀茂神社の社家・北大路清操(きよあや/せいそう)、登女(とめ、社家・西池家の出身)の次男として生まれる。士族の家柄だったものの生活は貧しく、その上版籍奉還2年後の明治4年に今まで保証されてきた俸禄制と世襲制が廃止されたため混乱期にあった。父・清操は東京に職を求めたり京都に戻ったりという生活をしていたが、房次郎(魯山人)が生まれる4ヶ月前に自殺する。母・登女は滋賀県滋賀郡坂本村(現:大津市坂本)の農家に房次郎を預け失踪する.....



えっ!!


上賀茂神社の社家の次男だった!!


それに、壮絶な幼少期だったようです。Σ(・□・;)



”北大路 魯山人さんの何かを感じとったからだ” と分かりました。


その理由が分かると、居てもたってもいられなくなりました。


(天気悪そうだけど、今日行こう。)


午前8時半頃には上賀茂神社に居ました。


世界文化遺産・上賀茂神社の説明書きです。


手水舎で清めてから、まずは本殿へご挨拶。

その後、摂社や末社へも参拝させて頂きました。


せせらぎに癒されます。


「願い石」(陰陽石)

この渉渓園は、古く龍の住む池があったと言われ、池の底より出土した

「陰陽石」は陰と陽が極まり融合した(実った)姿を現しています。



「ならの小川」の歌碑

子ども達が小学校低学年の時に使っていた小倉百人一首です。

久しぶりに手に取りました。(懐かしい)


大人になってから、古文を勉強し直すのもいいかもしれませんね。




参拝を終え、一の鳥居へ戻る途中

突如目の前に1羽のカラスが現れました。


今日も歓迎(お見送り)のサインを頂きました。(感謝)



思いもよらぬ関連性から、物凄いスピードで参拝させて頂くことになった上賀茂神社。


不思議なご縁に感謝。




今日も最後まで読んでくださり有難うございました。

感謝









笑実の見えない世界 不思議体験

キャリアを捨て、占い師への道を歩み始めた第二人生。ゆるやかな日常生活に起きる、目に見えない不思議な体験を綴っています。

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